2014年5月31日土曜日

小説版『ドラマ ドーリィ♪カノン~未来は僕らの手の中~』を購入しました

ドラマ ドーリィ♪カノン 未来は僕らの手の中 (小学館ジュニア文庫)
ドラマ ドーリィ♪カノン 未来は僕らの手の中 (小学館ジュニア文庫)

ドリカノに限った話じゃないのですが、小説とドラマには大きく異なっていることがあると思っています。
まず、前者(小説)は後者(ドラマ)と違って視点となる人物の心情が書かれてあることが多いです。今回の小説のほうもドラマの第4話でいう、レミのライブから逃げ出して落ち込んでいる奏四の心情が事細かに説明されています。特に細かいなぁと思ったのが、心音と挨拶を交わすだけの関係に戻った事ついての心情についての一文。
正直に言うと、向こうから別れを告げられるのが怖い。こちらから切り出して、「わかったでーす!」なんてスッキリされるのも、やっぱり怖い。オレはもうこれ以上、傷つきたくないし、否定されたくない。だから、このまま関係が自然消滅するよう、徹底的に、宍戸を避けることにした。
深い・・・。ただたんに落ち込んでいるから人と距離をおきたいとかそんな単純な理由じゃなかったなんて・・・。

他に、小説とドラマや漫画との違いでよく思うのは、小説だと視点がころころ移動させれないということ。例えば漫画だと登場人物二人の心情が同じページの隣同士のコマで書かれるなんてことはよくあるけれども、小説だとそんなことはめったにありません。ドラマでも、電話の場面で場面が話者の場面と交互にいれかわったり左右に画面をわけてどちらも見せるという手法がとられますが、小説だとそんなことはないことが多いです(神の視点という手法を使えば可能といえば可能かもしれませんが、ご法度という人もいます)。本書でも、レミのライブ(村崎さんからスカウトされた日)から帰った後、心音が奏四に電話をかけますが、奏四が「もう寝たって言って」と言った記述は書かれてません。姉から「奏四、もう寝ちゃったみたい」という記述があるだけなので、本当に寝たのかごまかしているのか分からない状態に(そこまで大事な場面というわけではないですが)。後は、奏四が『がんばれ☆シンデレラ』を初めて聴く場面が完全になくなっています。でも、ここは奏四視点で書いてもよかったと思うんだけどなぁ。奏四が『がんばれ☆シンデレラ』を聴く場面なしに心音のもとに来てるというのは少し違和感が・・・(ドラマを見てなかったらそんな違和感を憶えなかったかもしれませんが)。

ちなみに、この小説は一人称小説です。ある程度の区切りで視点人物は変わってますが、ころころ視点が変わるわけではありません。最低3ページは視点人物の話がつづいています。
ところでここで話がかなりそれるのですが、『がんばれ☆シンデレラ』の作曲者である渡辺翔さんの代表作の魔法少女まどか☆マギカのOP曲の『コネクト』だと自分は思うのですが、その魔法少女まどか☆マギカには小説版があります(小説 魔法少女まどか☆マギカ (まんがタイムKRノベルス)-自分が読んだのはこれとは版が違うのですが、中身は同じはずです)。この小説、第十章(アニメでいう10話)とエピローグ(アニメでいう最終話後半)以外は主人公の鹿目まどか視点の一人称小説となっています。ただ、アニメを見た人ならわかると思うのですが、アニメの中ではまどかが登場しない場面やまどか以外のキャラの心情が描かれている場面も多数あるわけです。ということは小説でその部分を改変しなければならないわけですが、その改変方法としてまどかも一緒にいることにした、また後から話を聞いたという改変があるのですが、それ以外に、『まどかに心情が筒抜け』という改変が加わっています。マミさんの(もう何も怖くない)という気もちががまどかに筒抜けだったわけです。一人称にするのである程度しかたないとはいえ、「これはひどい」と思ってしまいました(ちなみに、アニメを見てない人に補足しておくと、アニメ内にもテレパシーで会話するという場面はあるので、会話してなくても心情が伝わるという設定は小説だけの設定ではありません)。

話を戻します。ドラマと小説での変更点や追加された設定で気になった箇所について。
幸田さんがカノンの正体は奏四だと推理した後、ドラマでは奏四は「コナン風に追い込むのやめてもらっていいですか?」と言っているのにたいし、小説では「名探偵風に追い込むのやめてもらっていいですか?」と変更されてます。『赤い蝶ネクタイ』という記述はあるので、コナンを意識した作りにはなってると思うのですが、『コナン』を『名探偵』に変更する必要性はあったのだろうか。
それと、上記の幸田さんの推理の後、ドーリィモードで奏四がカノンになった後の幸田さんの「つきあってください」がなくなっています。ただ、あの場面はドラマを見た時も少し違和感を感じたので、もしかしたら撮影した時に監督の指示とかで追加されたセリフなんじゃないかと思っています(アドリブではないような気はする)。
後、ビックリしたのがレミのラストライブ。ドラマのほうでは『空学館学院』となっていましたが、小説では『空学館大学』となっています。幸田さんの所属する高校じゃないのかよと驚きました。
それと、レミの口パクについて。最初からではなく、生放送で歌詞を間違えてかららしい。そんな理由で口パクになるって、キンキキッズどうなるんだよ(参考:キンキが今まででmusic stationで歌詞を忘れたり、間違えたりした曲名を教えてくだ... - Yahoo!知恵袋)。生放送で歌詞を間違えて叩かれることってないと思うんだけどなぁ。むしろ、生放送中に事故でマイクが倒れても歌が聞こえる事態になったほうが叩かれる。
それと、カノンがプロデビューしてからの奏四視点の話が追加されています。寮生活しているそうで、恋愛禁止といわれているようです。家族にはなんと伝えているのだろうか。
後、カスタマイズがライブハウスを回っているという話を最終話でしていたけど、どうやらワゴン車を買ってそれで世界をまわっているんだとか。あれ? 高校生だよなぁ・・・?

それにしても、村崎さんがいい人みたいな感じになってるのはなんだかなぁと。アーティストの才能を最大限に伸ばすことができたら自分が悪者になってもいいという考えのようだ。正直、この考えは同調できない。たまたま自分の思惑通りにいったとはいえ、誰も幸せにならない結果も十分にありえたと思う。まあ、フィクションにたいしてそんなこと言っても仕方がないけど。

それとそれと、今回の小説もやぶうち優先生の挿絵付きです。前巻にはなかったレミの挿絵もあります。漫画とドラマではレミのキャラ設定が異なっている気がするので、レミの挿絵は少し違和感があります。ラストライブで謝ってる場面ということもあるかも。どうせなら、ゴスロリレミの挿絵のほうが見たかったりする自分。

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